起業系メディアインタビューを受けました!フリーランス・独立支援を理由などうまくまとめていただいております。よろしければコチラご覧ください!
樫本 祐輝 Yuuki Kashimoto(かしもと ゆうき 通称カッシー/かっしー)
岡山県出身で大阪の高槻市に住む起業家転身を目指すWebクリエイターです。1985年生まれ。
2018年7月に第三子が生まれて専業主婦+子供3人を養いながらクリエイター・フリーランス支援をやっています。
これまでの経歴
岡山から大阪のIT系専門学校に入学。卒業後1年間Web制作会社に勤めた後に独立。WEBデザイナー/Flashクリエイターとしてフリーランスとして活動後ゲーム会社に開発リーダーとして入社。デザイン/Flash開発チームをまとめたり、採用担当など業務を行う。
その後マーケティングを学ぶためWEBマーケティング力のある会社に転職。Webデザイン業務やシステムの仕様設計など中心に一年ちょっと勤める。2012年3月末で退職し、2012年4月〜2月末はクリエイティブな力で社会問題を解決するというNPO法人HELLOlife(旧スマイルスタイル)で制作含め経験を積む。現在は非常勤で関わりつつ個人事業「webstriver」をメインとしてIT/クリエイティブ顧問としていくつかの企業のデザイン・IT・WEBなどの分野の顧問を担当し、現在は2017年11月に株式会社クリエイティブユニバースを設立し、個人企業法人としてクリエイター・フリーランスギルド「TheCreative」を中心に活動中。
理念は
「クリエイティブな人に幸せを」
世の中に新しい価値を見い出したり、問題をクリエイティブなアイデアで解決したりといった人を応援したいとこの理念を軸に、企業のIT/クリエイティブ顧問や、独立したい人のためにのフリーランス独立セミナー、スクールや職業訓練校で学んだけど、就職に苦労するWeb業界に入りたい人のサポート、Webサイト制作など様々な業務を行なっています。
基本的に「自由人」を目指していて、いかに場所に制約されず、時間を自由に使いながらお金を稼いでいけるかという点を学んでいます。
IT/クリエイティブ顧問をしている会社の関係で月1程度新宿に現れます。もし、逢いたい方がいらしたらfacebookなどで連絡くれると嬉しいです。近いうち東京でもフリーランス独立セミナーを開催する予定です。
僕が21歳で独立した理由
「独立する人はすごい人」と思いますよね?
少なくとも僕はいうほど強みもなく、「凄い」と言われるレベルではありませんでした。
僕が21歳でいきなりフリーランスとして独立したのは、まだ家族も居ない、ローンもない、そういった一番リスクが低いのは今この瞬間なんじゃないか?そう考えて最低限のWebスキルだけを持っていきなりフリーランスとして独立してみました。ダメだったらまた就職すればいいくらいの気持ちでした。
才能や経験が無いからこそ、努力すること、そして人よりも多く経験を求めるということををがむしゃらにやっていました。
どうして独立という選択肢を取ったのか?
それは僕が高校生の時に気づいた自己分析から来ています。
僕は基本マイペースで、
人並みに足を揃えて行動することが苦手です。
嫌なことは基本したくないし、興味関心の無いものに時間がとられるのが非常に嫌でしょうがなかったです。
そして小さい頃から大手電機メーカに勤める父親を見ていて、「サラリーマン」という印象はあまり良くありませんでした。何度もある接待、お酒の飲み過ぎやストレスから胃潰瘍になったり、夜遅くに母親に迎えを頼んだりなどなど。
尊敬できる父親ではありますが、その大手の会社に勤める父親に自分を重ねることはできませんでした。こういう仕事はしたくないなーと幼子心に思っていました。
高校では商業高校の情報処理科に入り、パソコンに触りだすと、それが楽しくて夢中になりました。それまで主要科目や体育、保健といった一般科目に昔から興味が沸かなかった僕は情報処理という授業にひたすらのめり込み、先生の授業を無視して一人でどんどん進めて行きました。入学当初はブラインドタッチもできず、インターネットという概念さえ知らなかった僕が、高校卒業する頃にはコンピュータ部の部員よりもパソコンオタクになっていました。
必然的にコンピュータ系の道に進もうとしていたのですが、当時はコナミのダンスダンスレボリューションが大好きで、音楽を作ったりゲームを作ったりできたらいいなーと思っていました。でも残念なことに初めて触った言語が「COBOL」という事務計算処理など銀行などで使われているようなものでした。当時この言語に触れたとき、マルチメディア要素の強いゲーム制作はいったいどれだけ遠い壁なんだとその夢を閉ざしてしまいました。(※当時インターネットも家になく、そういうのを知っている先生も居なかった)
ゲーム系の専門学校にいこうかなーと思っていました。でもある時ひょんなことからHTMLにハマり始めました。インターネットが自宅に無かった僕は良く本屋で売っているフリーソフトがたくさん入った本を書い、それで遊ぶのが日課(動画編集や画像加工などなど)でした。その付録CDのコンテンツは「HTML」で作られており、PCにコピーしてメモ帳で編集すると書き換えれることを知り、どんどん触っていき楽しくなり、その時初めて「Webデザイン」という方向性を見い出しました。
それからは早く、まずはソフトが欲しいと家電量販店に行きました。最初はホームページビルダーを買いに行ったつもりだったのですが、お店にはやたらとカッコイイパッケージで「DreamweaverMX」というソフトが売られていました。裏面に写っているサンプルを見てもどう考えても他のホームページ作成ソフトよりカッコイイ。学割版を申し込みそのソフトを手に入れ、本屋でDreamweaverの本を買い、プロの基礎となる最低限のHTMLやCSS、テンプレート機能などに始め、MacromediaやAdobeといったプロのツールがちゃんとあるんだということを知り、インターネットが家に無く自由に使えなかった反動もあり、Web業界への進路決定がどんどん加速しました。
それと同じ頃、コンピュータの知識の証明にと初級シスアドを勉強していて、パソコンの中身のことを知っていくとだんだん自分でPCを組み立てたくなり、親にかなり無理を言って15万円ほどでBTOのセットでパーツを注文し、自分で自作してみたりして、パソコンの拡張性やメーカの特性など色々なことを学び、なによりも自分が使いやすいパソコンを自分で作るということに喜びを感じました。
少し前置きが長くなりましたが、
上記ような事が進んでいった結果、
「マイペース」
「大手サラリーマンは嫌だ」
「自分が使いやすいように組み立てたPC」
「Webデザイン」
「独学が自分に合っている」
などのキーワードから、必然的に「家でパソコンを使って仕事がしたい」と高3のころから思うようになっていました。
そして時は過ぎ、会社員を半年ちょいほど続けた時に、「家のPCより遅いマシン」「だんだんとやりたくない仕事が増えていく下っ端」という状況から「早く独立したい」という思いはどんどん強くなり、会社を一年で辞め、フリーランスとして独立をすることになりました。
つまり、僕が独立した理由は、「大変かもしれないけどそのほうが自分に合っている。」そう考えていたからでした。結果としてそれは自分の人生にとって「良い」大きな決断だったと今も思えます。独立がすべての人にとって良いとは限りませんが、少なくとも僕にとっては人生の時間をかなりステップアップできたと思います。
独立から今現在に至るまで。
最初の一年はやはり大変でした。
最初はWebデザインとコーディングとFlashアニメがちょっとできる普通のWebデザイナー。
別に自分より早く出来る人、良いデザインを作れる人、FlashのASができる人。そういった人はたくさんいてて何も差別化できず強みを持たない状態だったため、激務の割に収入も少なく厳しい一年を過ごしました。
でも、その一年で自分を応援してくれる人にたくさん出会えたり、会社ではできることのなかった仕事に携わらせていただいたりと、忙しく貧乏だけども充実はしていた日々を送っていたと思います。
当時はフリーランスで若くてFlashが使える子というのは珍しかったのか、Webサイトの仕事というよりもFlashの仕事が良く入るようになり、だんだんとWebデザイナーというよりFlashデベロッパー的な仕事が増えて来ました。
独立して1年後、当時学生の時に考えたTwitterのアカウントにもなっている「strive(何かのために努力する的な意味)」から「Strive-eX」という屋号を作りやっていたのですが、覚えにくこともあり、途中「Strive Interactive Design」から文字を抜き取って「stid」という屋号に、知り合いのフリーランスともに大阪の上本町にオフィスを借りていました。
Flashをメインにするようになってから単価は上がり、モチベーションの上がる仕事も増えて順調に生き始めたなーと調子に乗ってしまい、その後は失敗が続きました。
アルバイトを雇ったけど、その時受注していた仕事の要求レベルが自分の手に負えなくて解雇したり、プログラムの知識が足りなかったりしたり色々あり気がつけば裁判手前になったりしていてその準備とかしてたら気がつけば無収入で何ヶ月も時間が過ぎたりしてかなり追い込まれた時期がありました。
その失敗で自分に足りないを凄く実感しました。
独りの限界、プログラミングスキルの低さ、マネージメント力、コミュニケーション力、交渉力、上げればきりがない….
その時数ヶ月収入もなく、仕事もボロボロだった僕に怒りながらも家賃を貸してくれた彼女(現在の妻)。こんなボロボロでも支えてくれる彼女に示しが付かないと、仕事が正常運転に戻った時に高くはないけど結婚指輪を買いに行ってプロポーズしたら心良く受けてくれました。
そして独立後3年経った時、このまま今のフリーランスを続けても進歩がないと感じ始め、その時参加していたプロジェクトのゲーム会社にFlashの開発リーダーという形で入社しました。24歳の時でした。
それは以前失敗したものを学びたいと思い「プログラマー」が多くて人もそこそこいてて「チームワーク」、そしてチームを作っていくという「リーダー」を学びたいと思っていた僕にはその入社の誘いは非常に都合が良かったのです。
超激務で半月会社に泊まってるとか、経営者と従業員の板挟みとかなんかもうブラック企業なんてレベルじゃありませんでしたが、それでも勉強したいものが学べ、多くのプログラマーと接することで設計だったりプログラムやマネージメントのコツ的なものをたくさん学ばさせて頂きました。ゲームの会社だったのでゲーム業界の人と話すこともそれまでWeb系だった僕には貴重な時間でした。
でもその状況は会社の倒産という形で崩れてました。
(主に経営者間の揉め事から資金ショート的な)
その時子どもも一人目が生まれていた僕が理解した現実は、どんなに良い商品を持っていて売る力がないと意味がないし、お金が無ければ企業も継続しない。
凄いWebサイト作ってもそれを人に広める手段や収益が無ければどうしようもないなーと封鎖された会社、未払いの給料、払えない家賃などを目の前に、父親となった僕は強く現実に打ちのめされました。
そしてその後はフリーランスに戻らず、そういった手段を学びたいともう一度会社員として働こうと決め、「マーケティング」「Webサービス運営」をキーワードに次の会社を選び入社しました。
給料も下がり、普通の「Webデザイナー」としての入社でしたが仕事をしながらマーケティング部のやってることをどんどん自分で吸収したり、知らない世界を感じたりしながら一年ちょっと勤めました。
そしてある程度潮時を感じ始めた頃、以前から連絡を取り合っていた起業家から事業の誘いなどもあり、26歳の春、その会社を辞めました。
この時、数年後に自分のビジネスを確立させて関東に行きたいと考えていて、大阪で唯一心残りなのが、現在Webディレクターとして協力させて頂いているNPO法人スマイルスタイルともっと仕事がしたかったことです。(結果的に関東行きは今現在保留ですw)
彼らは僕が21歳の冬に出会いました。同じように若いのに社会のために人がしないようなアイデアや行動力があり、尊敬していました。フリーランスを辞める時唯一心残りだったのが彼らともっと仕事することだったので、会社を辞めて彼らの事務所に間借りさせて貰えないかお願いしに行きました。自分が将来会社を作るとしたら、彼らのような会社に僕も将来したいなと思っていたのです。
すると「それだったら中にはいっちゃえば」と彼らは言ってくれたので2012年4月より正社員として入社させて頂き2013年2月まで勤め、現在は非常勤のWebディレクターとしてお仕事させていただいています。
そしてそれと共にお誘いを受けていた起業家の方と一緒に東京でビジネスコミュニティの運営も携わり始めました。毎月東京に行っているのはこちらの用事だったりします。こちらも順調で2014年3月現在会員約600人overと順調です。
NPOと起業コミュニティ運営、全く異なる2つの優秀な方の手腕を側で見れるという状況だった2012年4月〜今に至る期間は僕が将来もっと大きなことするために必要なことたくさん学ばせてもらいました。
ふと気がつけば自分が作りたいサービスや、やりたいことがハッキリと決まり、10年後の計画や筋道がかなり具体化になってきました。
このような流れで僕は
・Webデザイン
・Flash
・プログラミング、設計
・マネージメント
・マーケティング、Webサービス運営
・職場環境、イベント運営、アイデア力
・集客、スクール運営、経営
と、自分が足りないと思ったものを手に入れるように環境を変えてきました。
そして1つの答えに辿り着いたのが
「自分から何か発信したい」
と思うようになり、
「自分しかできない仕事をしよう」
と考え、その結論として見いだせたのが先に紹介した理念
「クリエイティブな人に幸せを」
です。
単価が安くてフリーを継続できない、
クリエイターは給料が安いし時間拘束が長いから辞めざるを得ない
求める即戦力が高すぎて転職ができない、
専門職なのに給料が営業や事務と同じレベル、
忙しすぎて自分の将来を考える暇がない、
職業訓練校やスクールでWebを勉強したけど書類審査すら通らない、
子どもを産んだから好きなクリエイティブな仕事を辞めなければいけない、
そういった声を良く聞いていた僕は、
その問題を何とかしたいなと考え行動する今に至りました。
独立セミナーもフリーランスの人の将来設計に役立てて欲しいと始めました。アウトプット支援交流会も、将来自分の理想を叶えるためのきっかけになる目標をより楽しく効率よく達成して欲しいと考えて考えついたイベントです。
この他にも独立副業を支援するWebサービスや、
プロのWebデザイナーになるためのノウハウだったり、
気がつけば僕にしかできないような、他の人がしていないことがたくさんまだまだあります。少しずつですが実現化させて世の中にだしていければなと思っています。
もちろんただ単純にデジタルで作れる人がクリエイティブというわけではなく、僕が勤めたNPOのように既存の団体ではできないような新しい発想力やクリエイティブの力を使った問題解決などそういった「クリエイティブさ」を持っている多くの起業家や学生、クリエイターなどを僕はサポートできればと思っています。
そんなこんなで気がつけばただのWebデザイナーから、
社会に新しい価値とか、問題解決したいという小さな起業家みたいになってきたと最近実感しています。
カッシーの人生観
僕は早く独立を経験し、比較的早く結婚、子供を持ちました。
基本的にいろいろなことを急ぎすぎている気もします。
でも人生は何もしないには長い時間ですが、何かをしようと思うととても短い時間に感じます。僕はその人生の中でいつ死んでも悔いが残らないようにできる限りのことを経験したいと思っています。
だからこそ「若いから」とか「常識的じゃない」とかそういう言葉に翻弄されず、自分がやりたいように生きて、その選択を後悔しない。間違ってたら早くに改める。ただそのように生きています。
今の日本は豊かすぎて、余計なものが増えすぎました。
考え事は増え続け、みんなストレスを受け続け、幸せを感じにくい空気ができてしまいました。結局のところ、自分の幸せは自分で作り出すしかないと思っています。
独立経験を得て僕がたどり着いたのは「仕事、家族、友人、健康」これらのバランスが大事だということを身をもって学びました。
自分がやりがいを持ち、なおかつ人からお金を貰える「仕事」
自分の仕事や愛情、健康を支えてくれる「家族」
利害関係なしにくだらないことに付き合ったり相談に乗ってくれる「友達」
これがなければ全てが変わってしまう「健康」
このバランスを保ちつつ一つ一つを伸ばしていく。
そういった意識を持ちつつ死ぬまで成長を続けたいと思っています。
「仕事」では、いかに短時間で自分のやりたいことをやって食べていけるか常に考えています。そういう意味では僕は社会のために起業ではなく、前提として自分のための起業があり、その延長線上に幸せになる人がいるという考えを持っています。
「家族」では、どうすれば家族が幸せか常に考えています。
適度に旅行にいったり、家事を手伝ったりといったことは当たり前ですが、
将来の親の介護や、独り身になってしまう問題、実家の田んぼや畑をどうするのか、
そういった遠い将来まで見越して色々なことを考えたり、リスクヘッジができるよう考えています。
「友達」では、自分の成長にともない、やはり疎遠になってしまう友達も居ますが、新しい友だちも常にできつづけます。嬉しいことは共感し、悲しいことは半減してくれる、 困ったときに相談できる、そんな友達に自分がなれるよう努力もしたいです。
「健康」では、運動せねばと2011年にはフルマラソンに出場や、普段から口にする食べ物を意識したりなどして、日々未来の身体をどうやって作っていくか意識して考えています。今この瞬間食べたもので身体が作られている意識を凄くもっています。
この4つの付け加えるものが一つだけあるとすれば、
それは「お金」です。
お金に関する知識は正しく身につけないと損ばかりします。
貧乏な人ほどお金に無知識です。お金を稼いでる人は皆お金に詳しい人が多いです。これは僕はまだ人に教えれるレベルの経験値がないので、今後の大きな課題として考えています。
とある成功者から僕はこんなことを言われました。
「カッシー、めっちゃ稼いでみないと見えないものがあるから、やるからには絶対稼ぎなよ」
また別の成功者からは
「一億円稼いだことがない人はビジネスの初心者やで」
これらの言葉を確かめるべく、
起業という形で学ぼうと現在行動しています。
カッシーの強み
僕の強みとしては、デザイン、プログラミング、マーケティング、マネージメント、健康、家族といった幅広い視点から物事を判断できる点です。
デザイナーやプログラマーといった制作の立場に物事を伝えれたり、経営陣や営業、マーケティングといった立場の人の意図ややりたいことを汲み取ってバランスを保ったりといったディレクションができます。
また、一人でなるべく多くのことをできるようにとスキルを身に着けてきたので、小規模な事業において、立ちあげにかなり貢献出来ます。(単純に複数人人を雇ったり、外注したりすることを考えると費用対効果がかなり高いです)
そういうこともあり、
企業のIT・クリエイティブ顧問として様々な相談に応える立場として活躍しています。
制作はもちろん、戦略・事業提案からブランディングに至るまで幅広いサービスを提供しています。(IT・クリエイティブ顧問は現在募集していません)
様々な立場の人から1が送られてくれば100を返すこともできますが、その100の中から上手いこと伝わる1つを取り出せるスキルを身に着けています。
一つのことをやっていくのに、利益を出していくのは当たり前、
モチベーション管理は当たり前、健康管理や家族との信頼まで踏まえた戦略をとっていきたいと思っています。
このバランスを持って無理なく成長していけるノウハウを持ってるのが僕の強みです。
また、現在はフリーランス・クリエイターギルド「TheCreative」を通じて総勢90名ものクリエイターと連携を密に撮れることや、「クリエイター200人祭り」など大型イベント開催もできることです。
将来作りたい会社象
現在は僕一人の個人会社ですが、いずれは事業を拡大してスタッフを雇って大きくしてきたいと思っています。
僕が将来作りたい会社はこんな会社です。
1.週4日勤務、一日は成長に使ってください。
2.残業は原則禁止、かわりに早朝出社可で早ければ17時に上がれる。
3.家族都合による自宅出勤あり
4.頑張った褒美はお金、休暇、セミナー参加など自己実現に合わせた選択
5.平日どうしても用事がある場合、土日との出勤日交換が可能
6.制作集中合宿で2週間ほど沖縄とか
7.副業可。むしろ支援。
8.会社を通して自己実現ができる
正味僕が結婚、子育てをしていて思ったのは
現在の利益を目指す会社の仕組みではしょうみシンドイだけだし
家族から応援されない会社になってしまうと考えました。
そのため僕はほどほどな給料だけども
融通の効く会社にしたいと思いました。
体を壊して週5出勤が厳しい人や、子どもが小さくて
妻への負担が大きくて会社を辞めざるを得ない人、そういった方々でせっかくのスキルがある人が居なくなってしまうのは寂しい、そう思ってこういう会社イメージを作りました。
足りない分は副業して稼いでくれたら良いと思うので
会社からも積極的に副業支援や資産管理といったノウハウを提供し、
「会社に勤めたおかげで人生が豊かになった」
家族から「なんてステキな会社に勤めているの」と呼ばれる。
そう思ってもらえる会社にしたいと思っています。
もちろんそれを支えられるだけの事業を作らないといけないんですけどね^^;
ブログポリシー
当ブログは現在以下のようなポリシーで更新しております。
1.自分にしか書けない記事を書く
例えばデザインの原則だったり、みんながよく使っているライブラリ紹介など、
基本他の人でも書ける記事は書かないようになるべく心がけています。
「あーそういえばこの事まだ記事で書いてる人いないなー」と思ったものなど書いたりします。
2.自分が思っていること、感じていることを書く
基本的に自分が経験したことをアウトプットすることを前提に、
思っても居ないことや、経験してないことをさも経験したかのように
書くようなことはないよう心がけます。
最近の活動や実績
2013年
・ブリジストンやINAX、ベネッセなどCIを手がけ、アジアCIの父と言われる中西元男先生主宰のビジネススクール「STRAMD」の大阪2期にてグループワークのプレゼンで優勝。その後東京本家でもプレゼンした。
・パートナーのNPO法人スマイルスタイルと共に
ハローライフ、ザ・ワークパークなどのサイト構築(WordPress)を担当。
・ザ・ワークパークにてYahoo!株式会社やナレッジキャピタル等の就労体験コーディネーターを担当
・フリーランス・クリエイター・マーケッターの有料コミュニティTheCreativeを発足。
2014
・個人事業主や経営者に対するブログ活用によるセルフブランディングコンサル
・兵庫県の報徳学園にてキャリア教育の一環で「クリエイター・独立・起業」などをテーマに講演
・民間のハローワークとも言われる大阪市西区の就労支援複合施設ハローライフにて『◯◯したいを応援する理想実現ワークショップ』を開催、講師を務める。
・「漁師や50代未経験からのWeb業界転職ストーリー」のイベント立案・進行等
・NPO法人スマイルスタイルさんとの仕事でグッドデザイン賞2つ獲得
ハローライフ・いしのまきカフェ
2015年
・STOP就活!フリーランス超会議(東京)登壇
・障害者就労支援ウイングル イベント登壇
・24歳以下限定。人生設計女子会(東京)登壇
・3年後の自分は大丈夫?悩み爆発クリエイター100人祭り (大阪)企画・運営・登壇
・フリーランス独立セミナー受講者200人突破。
・制作会社向けマーケティング研修(6時間1グループ30万円+税)
・TheCreativeを通じて独立および未経験からの転職など。
2016年
・クリエイター100人祭り@中之島designde開催
2017年
・短期集中セミナー「フリーランスカレッジ」を開催
・フリーランス交流会「フリーランスNight」開催
・クリエイター200人祭り@あべのハルカス開催
・クリーク・アンド・リバー社協賛 クリエイター人生改革塾開催
・TheCreative70人を超える
・株式会社クリエイティブユニバースを設立
2018
・東梅田 国道ビル「ラオカシオン」に拠点を置く
・独立セミナー・交流会を「フリーランスカレッジ」ブランドに統一
・第四回大阪クリエイター祭り、初のTwitterトレンド入り
・TheCreative100人を超える
・2018年7月に第三子誕生
・フリーランスメディア「次世代フリーランス研究所」立ち上げ
2019
・インタビューを受ける→コチラ
・2/21 TAM主催 Webクリエイターミートアップゲスト登壇
・2/27 STRAMD Osaka OB+阪急阪神不動産主催 中西元男の世界展 @ハービスPLAZA 実行委員会
・3/10 フリーランスカレッジSpecial版 開催
・3/21 動画つくーるxフリーランスカレッジ 動画クリエイター交流会 開催
・3/30 Snow Monkey ミートアップ大阪 共催
・4/28 クリエイター祭り 初の東京開催
・9/21 フリラテ ベータテスター募集
・11/4 クリエイター祭り大阪開催
最後に
長いプロフィール分を読んで頂き誠にありがとうございます。
交流会などでちらっと名刺交換した人より、遥かに僕のことを知っていると思われます(笑
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何か聞いてみたい質問とかあればお答えしますよ!
よく独立したばかりでお話する相手がいなくて。とか、
自分の将来についてすごい悩んでいます!とかメッセージ頂きます^^)
(正面真ん中が僕ですw)
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